17の春、私は自分で手首を切った。
「女の子はためらい傷が多いものだけどね」
医者は私の左腕を診ながらそう言ったが、私の腕には横に一筋深い傷がついてしまっていた。
ためらい傷など一切なかった。
「何で切ったの?」
「死のうと思ったので」
「まだ死にたいの?」
私が無言でいると、医者はカルテに何事か書き込み、看護婦と一言二言言葉を交すと私に彼女と共に診察室を出るように促した。部屋には母と医者が残った。
「たいてい、患者は何度も自殺を繰り返します。娘さんには監視のため、しばらく閉鎖病棟に入院していただくことをおすすめしますが。。。」
閉められたドアのむこうの若い医者の事務的な声を、私は遠い世界のことのように聞いていた。
17歳の春の間を、私は桜町坂病院と呼ばれる人里離れた療養所で過ごした。
療養所、というのはかなり控え目な言い方だ。
精神病院なのである。
白い格子で閉ざされた非日常な空間が、約ひと月私に与えられた生活だった。先に告白してしまえば、療養所の中にも日常はあった。
薄暗い廊下の上のほうに、気紛れのように嵌めてあった古いステンドグラス。
お世辞にもおいしいとは言えない、朝御飯、昼御飯、夕御飯。その米の粒が糊のようにべったりと茶腕に貼り付いていたこと。
窓の古い木枠に切り取られた、色鮮やかな外の田舎の風景。明治時代に建てられたという、煉瓦造りの外壁と青銅色の屋根。
新緑の燃える緑、緑、緑、狂ったように咲き誇っていた中庭の桜たち。
満天の星。
小さな裏庭の、小さな朽ちかけたメリーゴーラウンド。
それらすべてをもし「日常」と呼べるなら、私の17の春はもはや永遠に開けられることのない、小さな記憶の箱の中の出来事であったのだろう。
お伽話によく出て来る、一度見逃すと二度と現われない、森の中の幻の枝道にそれは似ている。
「荷物はこれで全部?」
中年の看護婦は母が選んで渡してくれた紙袋を開き、てきぱきとテーブルの上に広げた。パジャマ、Tシャツなどといった普段の私の日用品の他に、見慣れない赤のプラスチック製のマグカップが見えた。後になって気付いたことだが、それらすべての物には油性マジックでべったりと私の名前が書かれていたのである。
私だったらこのシャツは選ばなかったのにな。。。
勝手に私の衣装箪笥の引き出しを開ける母の姿を想像することはあまり愉快ではなかった。
そそくさと荷物の中から爪切りとシャープペンシルが選り分けられた。
「退院するまでこちらで預かりますからね。必要な時は言ってね」
自殺志願者に持たせておいては危ない物だということなのだろう。しかし、どうすれば爪切りとシャープペンシルでこの世から消え去ることができるのか、当時の私にはわかりかねた。
大人になり、多少世慣れる経験を積めば、一番予測のつきかねる行動をとるのが人間というものであることも、至極当然のことであると気付くのだが。
看護婦は入院カードを手に取って言った。
「じゃあ、美容室に案内するわね。えーと、羽須。。。この名前は何て読むの?」
「『かがり』です。耀」
「そう、いい名前ね。羽須さんはいくつなの?」
「17です」
「17じゃあ、ここの生活は退屈かもしれないわねぇ。ここにいるのは殆ど、家族に厄介者扱いされたお年寄りばかりよ」
そうか、退屈なのか。
しかし、出たいと言っても出してもらえる訳ではない。私は3針縫われ、包帯をぐるぐる巻かれた左腕を押さえた。
看護婦は、そんな私の左腕を一瞥し、突然妙なことを聞いた。
「あなたも『天使様』に会いに来たの?」
天使様?
言われた意味がわからず、一瞬言葉に詰まった。
「いいえ、ちがいます」
答えながら、自分の答えが彼女の求めたものだったのかどうか不安になり、看護婦の表情をそっと窺った。
「そう、それならいいのよ」
看護婦は無愛想に荷物をまとめると、それを手に、先に立ち歩きだした。
天使様。。。。
突然投げ付けられた言葉に戸惑いながら、看護婦について行こうと思い、ふと呼ばれたような気がして振り返った。
窓の外は春の陽が眩しく溢れ、別世界のように輝いている。
誰かが手招きをしている?
病院内の薄暗さに慣れた目を凝らしてよく見ると、それは重たげに枝を揺すった白い白い、桜の老木だった。
病院というのはどこもこんなに暗く、寒々しいものなのだろうか?
案内された一階の4人部屋は、カーテンに仕切られるわけでもなくベッドが四隅にポン、ポンと置いてはあったが、白いシーツがかかっているのは3台のみだった。壁の一方には格子のついた大きな窓。しかしそこから陽が射すことはない。多分、北に面しているのだろう。窓側のベッドには人が寝ており、私が入っていっても起き上がる様子はなかった。
どこからか古い歌謡曲を歌う声がする。時々ナツメロ番組で聴く。。。何だっただろう。。。そう、「瀬戸の花嫁」とかいうんじゃなかったかな。私は小さな戸棚に荷物を移しながらそんなことを考えた。少しかん高いその声は同じ曲、同じフレーズを繰り返し、途切れることなく歌いつづけ、私にここは普通の病院でないことを思い出させた。
部屋にはもう一人、中年の女性がいた。
痩せて肩までの髪に眼鏡をかけたその女性はどこか蛙を連想させた。彼女は私がタオルをしまったりシーツを広げたりするのを黙って見ていた。私も黙っていた。ここは精神病院なのだ。別に知り合いをつくる必要もない。
「あんた日本人?」
突然女性が口を開いた。
無視する。
「日本人じゃないんじゃないの?外人みたいな顔してるもの。ねぇちょっと、日本語わかるの?」
「わかります」
出来るだけ感じの悪い言い方をしたつもりだったが、女性は気にもとめず早口で続けた。彼女の名前は市川といい、毎朝4時きっかりに起き出しては箒を持って病室を掃除し始め、「まだ朝早いから」と制止する看護婦に、「あたしは主婦だからね、主婦だからね」と言い張り、掃除し続けることを知るのは翌朝のことである。
「なんで外人の顔してるの?」
なんで外人の顔なの?
なんで他の人と違うの?
それは、子供の頃から誰もが私に投げかけた質問だった。私の色の薄い髪、瞳、黄色人種じみない白い肌、顔の造作、何となく間のびした長い手足。街でモデルにと声をかけられることもよくあったが、それが本人にとって嬉しいことであるかはまた別の問題である。
なぜ、自分は友達たちと違うのか?
わからない。
わからないのだ。
おそらく私の父か母は日本人ではなかったのだろう。私に許される想像はそこまでだった。
自分にもわからない個人の事情を、なぜこの不躾な中年女性に話さなければいけないのか。
面倒くさいので無視することにした。
彼女はもう何も言ってこなかった。
一日たち、二日たつと、精神病院とはどういう場所なのかが少しずつわかってきた。
心の病を持つ人々の集団、というと朝から晩までの乱痴気騒ぎを想像するが実際そんなことはなく、そういった一部の患者たちは「個室」と呼ばれる病棟に隔離され、一般の患者は、たとえ閉鎖病棟といえど毎食後の胸が悪くなるほどの多量の投薬により従順に飼い慣らされていた。
誰もが自分の興味あるものにしか興味を持たず、そしてたいてい誰も何も興味を持っていないのだった。
看護婦は、ここにいるのは老人ばかりだと言ったが、歳の若い入院患者がいないわけではない。
ある日、同じ歳くらいかと思う少女に話しかけられた。いつもフリルのワンピースを着、手鏡を覗きこむ癖のある少女だ。眠る時もフリルのワンピースは、脱がない。
「羽須さんは、精霊って信じますか?」
「精霊?」
「友達が、精霊を食べなきゃいけないって言うんです。いっぱい、いっぱい、食べなきゃって」
「。。。。。」
彼らの言うことは、時に適当に聞き流し、時に無視した。無視しても、何の問題が起こるわけではなかった。話しかけた本人も、次の瞬間には自分が話しかけたことさえ忘れてしまっているようだった。
私と同室のもう一人の女性は「弥生ちゃん」という。おそらく30代半ばの、目の大きな少しもっさりした印象の人だ。名字はわからない。
彼女は自分でも自分を「弥生ちゃん」と呼ぶし、看護婦の誰もが彼女を「弥生ちゃん」と呼ぶので、結局最後まで名字はわからなかった。
彼女はたいてい、のびきったスウェット姿でベッドにもぐって眠っており、時々母親らしい人がファッション雑誌などを差し入れていくが、弥生ちゃんがそれらを読んでいるのを見たことはない。
彼女はもう10年以上もこの病院にいるのだと看護婦は言う。
「あたしはいつでも退院できるんだけどね、子供といろいろあるし、ほら、主婦だから」
市川さんの意味不明な呟きにもだんだん慣れてしまった。
狂気というのはさして過剰にロマンティックなものではないらしい。
病院内は妙に静かな日々が流れていた。
死ぬ機会を奪われた私は、毎日何をするでもなく窓の外を眺めて過ごした。中庭の小径を、誰かの面会に行くのだろうか、差し入れの包みを携えた人々が小走りで行き来する。誰もが人には言えぬ罪を抱えたように、急いて患者に面会し、通り一遍な励ましの声をかけ、病院の門を走り出てその建物が見えなくなった頃、ようやく背筋を伸ばして深々と深呼吸するのだろうか。
そんな様子が容易に想像つくほど、患者の面会に来る人々の姿はみな似ていた。
むこうのベンチで話しこんでいるのは、開放病棟の患者たちだ。
渡り廊下で繋がれた、むかいの二階建ての窓を数えながら左に目を移すと、古い洋館に相応しく小さな塔屋が建っている。その窓はいつも暗く、人のいる気配は無い。
そんな風景を、繰り返し繰り返し、何の感情もなく眺める日々が続いた。私の唯一の家族といえる母は、入院以来一度も面会に来た事はなかった。
会いたいとも思わなかった。