最新インドヒマラヤ情報&記録


 このページでは、最近インドヒマラヤを訪れたかたがたの生の情報を生かしたいと思います。
ぜひ、情報をお寄せください。


 

山川靖仁さん、今夏はシッキムへ 2000年8月16日〜29日

山川靖仁さんから以下のメールをいただきました。シッキムはなかなか入域が難しいと聞いていますが、さすが山川さんという感じですね。詳しくは山川氏のホームページを参照してください。

お久しぶりです。いかがお過ごしですか。
今夏はどこかお出かけになりましたか。

私は相変わらず、今夏も8月16日から29日までネパールとインドに行って参りました。
東ネパールとインドのダージリン、シッキムを中心に見てきました。

マナリ方面は、印パ関係が今一つしっくりしていないことと、テロが相次いでいることから今年は様子を見ることにしました。実際インド旅行中に見た新聞にも、「8月24日ごろ、クルから奥に入った峠で、トレッキング中のスペイン人の母親と息子が殺され、現金とカメラを盗まれた」との記事が載っておりました。7月にもマナリでドイツ人が殺されたそうです。

その点、シッキムは中印国境のため入域許可を得なければいけませんが、いたってのんびりした感じをうけました。雨季のためヒマラヤの姿を見ることはできませんでしたが、観光客も保養客も少なく、かえってこの時期を選んでよかったのではと思ったほどです。
ガントクから車で2時間あまり、チベットとの国境に近いツアング湖(海抜約3800m)まで行きましたが、湖畔は高山植物が一斉に花をつけており、ロータンパスにひけをとらぬ美しさでした。

土砂崩れなどで奥地に入るのはやはり困難ですが、ガントクまでは、道路がよく整備されており、ダージリンやシリグリから4、5時間で行けるのも魅力です。10月になるとカルカッタなどからたくさんの保養客がくるとのことでしたが、トレッキングなどにも最適でしょう。
また、そのうち私のホームページに旅日記を載せたいと思っています。

それではまた。お元気で。     山 川 靖 仁

「Fumikoのチベット圏うろうろ探査紀行」リリース(2000年9月)

待望の、酒井 章子(さかい ふみこ)さんのWebページ「Fumikoのチベット圏うろうろ探査紀行」が2000年9月8日、リリースされました。以下はご挨拶のメールです。それにしても、行動力に驚かされます。

大変ご無沙汰しております。お仕事に山行にとお忙しいことと思います。
さて、進捗状況が芳しくなくご連絡が遅くなっておりましたが、本当に少しづつHPの体裁も整えられてきましたので、恐れいりますが、恥ずかしながら掲載していただいている私のメール&写真ページにサイトアドレスをつけくわえていただけますでしょうか?
   http://www.gem.hi-ho.ne.jp/mifuu/
上のアドレスになります。

1996年7月〜8月

さかいふみこさんから、次のようなメールと写真を送っていただきました。
彼女は、インドヒマラヤスピティー地区を1996年にシムラから入域しました。その様子について現在Webページを作成中とのことです。以下メールから抜粋しました。

私はチベットが好きで、ラサや中国国内やインド・ラダック地方など旅しましたが、’96年7〜8月にシムラからカザへバスで来て、カザで予定外の長滞在をして、その間ラグザ村(その手前のはヒッコム村といってた気がする)やキーゴンパ、タボゴンパ、ピンバレーを訪れていたのです。あそこにいた3週間の間、日本人には1人も会わなかったので、余計にびっくりしました。
チャウチャウカンニルダ峰、と言うのですね。ラグザ村に行って、高地特有の宇宙(そら)へとつづくあの青空のなかにそびえたつ美しい三角錐の山を見たとき、純粋に”登ってみたいなあ”と思いました。私も一時期(というところが悲しいですが)、山をやっていて、岩、沢、雪山を少しかじってましたので(山屋の卵の卵くらいです)。あの美しい山にみなさん登られたということ、おめでとうございます。うらやましいです。

私は、あの辺りに点在するゴンパ(寺)を見てまわったあと、寺の下に広がる村をとおり、峠を通過してカザまで大斜面を降りていきました。(カザのまちと道路をはさんである大きい崖です。)
峠からは河の向こうに広がる雪山がたくさん見え、大変目の保養になりました。6300mの山頂からはさらに見えたことでしょうね。いいなぁ〜〜〜。

やっぱりスピティバレーとキノールバレー、ピンバレーのページが少ないので、ここはひとつ私がつくらなければ・・・とは思っていました。
私はチベット圏が好きなので、中国国内、インドの旅行記もあわせて簡単に、または連載風に作っていこうかと思っています。

96年は2ヶ月きっかりの予定で、タイ、カンボジア、インドそしてネパールをまわりました。デリーに着いて、毎度のことながら(1年中暑いところです)の暑さにすぐに北部のチベット文化のほうへと思い、バスチケットを買いにいったら、2,3日先まで座席がいっぱい、と言われ、シムラならあるといわれたので、シムラに向かった次第です。そのとき、旅行人ノート1”チベット”の本とドイツ製?の”NellesMaps”のHIMALAYAエリアの地図をもっていたので、シムラからマナリへぬけて、そこからラダック地方のレーに行こう(ラダックには90年にシュリナガルから途中カルギル泊でいったことがあるので、マナリからの昔軍用道路だった(と思われる)ルートも魅力的だ、と私の冒険心がうずきだしたわけです)という野望をひそかに抱いたことは否定できません。
でも、レコンピオ(キノール・カイラスがよく見える街です)まで行きつくまでに、1日15〜6時間バスに揺られ、途中道路崩壊個所のためにバスを乗り換えたり、バスをおりて歩いたりが何回もあり大変だったのに、レコンピオからカザに行くのには許可証が必要で、なのにレコンピオでは4人以上のグループにしかださないとか、ちがう町で取るしかない、とか言われ、1人で来てるから無理〜と思ってオフィサーに直談判して、やっともらってカザにむかったのはよかったけれども、途中、濁流が原因で道路がガレたところを身ひとつで通過してから、その濁流の脇のがけでテント泊して(そのときは、カイラスへ行こうかとシュラフも持参してたのです)、翌日ある僧がどこからか持ってきた木を濁流のなかの大岩にかけて、それをよつんばいで渡ってその後チャンゴで1泊して、ようやくタボに行き、そこで半日バスを待って夕方カザに着いた、とこんな破天荒な経過がありました。その濁流を渡るときはここで死ぬかも、とマジで思いました。これはいままでの旅で一番命の危険を感じた経験です。

さかいふみこ

1999年8月18日〜30日

山川靖仁氏(岡山県)は思い出のドライバーとバララチャー・パスまでジープトレッキングを行いました。

印パ紛争の関係からか緊張する現地の様子やインド・ヒマラヤもそろそろ観光公害チャンドラ・タールに75人のトレッキング?との情報を寄せてくださいました。

以下は山川氏からの短信です。詳しくは山川氏のホームページを参照してください。

ご無沙汰いたしております。

今夏は8月18日から30日まで一人でインドとネパールに行ってきました。

インドは言うまでもなく、「風来坊」に森田さんを訪ね、2年前の事故現場に行ってくるためでした。

当時のインド側のドライバーをはじめほとんどのスタッフに再会でき、事故現場にも行くことができました。

今回は森田さんにお願いしラホールのジープトレッキング(ドライバーは2年前の事故の時と同じ人)をしてきました。時間がなくわずか4日間でしたが、バララチャー・パスまで行ってきました。

印パ紛争の関係からレーに向かう道は至る所に歩哨が立ち、軍用トラックの往来も多く、少し緊張しましたが、旅行者にとって特に問題はないようでした。普段の検問所以外に、軍の検問によるパスポートチェックがあった程度です。

しかし、チャンディガルからマナリまでの道は、土砂崩れや落石が激しく、大変でした。雨季でもグレート・ヒマラヤより奥は問題がないですが、手前はきついですね。ブルーポピーをはじめとする高山植物を楽しめるのもこの時期ではあるのですが。

そうそう、マナリにはチャンドラ・タールに向かう日本人の2つのグループが入っており、総勢75人。事故現場に行った後、そのグループのキャンプに合流しましたが、ジープ35台をチャーターし、現地のスタッフも60人あまり、あまりの数にびっくりしました。インド・ヒマラヤもそろそろ観光公害に犯されそうです。自分を棚に上げて、言うのもおかしいですが、自然の浄化力、回復力を考え入山を許可するなどの対策が必要でしょうね。道路工事で無惨な状態になっている高山植物、4000メートル付近までタンポポの群落が我が物顔で侵入している光景、考えることも多い今夏のトレッキングでした。

75人の入山については森田さんもさすがに気にされておられました。いろいろな事情でやむおえず手配されたとのことでした。

岡山・山川靖仁

1999年7月17日〜28日

日向野克己氏(ストックカンリ隊隊長:現群馬県山岳連盟指導委員会副委員長)は、昨年につづいて、インド・ヒマラヤにてトレッキングを行いました。コースはヒマチャル・プラディシュ州マナリからマリ・ダショハール湖をめぐりました。「ブルーポピー」を眺めてのゆるりとしたトレッキングであったようです。詳しくは「インドヒマラヤを歩く(「山岳ぐんま」より転載)」を参照してください。

1998年7月19日〜30日

日向野克己氏(ストックカンリ隊隊長)他6名 ヒマチャル・プラデシュ州クル地区 インドラサン踏査

以下は村上泰賢氏からの短信です。詳しくは「インドラサン踏査隊報告 概要」を参照してください。

インドヒマラヤのトレッキングは予定通りに行動して、本日午後帰宅しました。いろいろありがとうございました。

行く前に田中さんから、岡山の山川さんのホームページを紹介してもらい、読んで行きましたが、今回は幸い天候もよく、また昨年の現場の手前までしか行かないので、なんの問題も起こらずに行動できました。

何といっても天候がよくて、めったに晴れないというハムタパスもきれいに晴れて、インドラサン、デオチバなどの山並みがはっきり見え、素晴らしい景色でした。期待していたブルーポピーもたくさん咲いていて、最後にはもうそんなに騒がないほどたくさんありました。

18年前のシャルミリ峰のときのI.D.シャルマやラジーブなどにも久しぶりに会うことができて、いろいろな情報が入りました。

森田さんも元気で、いろいろな話がはずみました。

詳しくは後程、簡単な報告書を作ってお知らせすることになると思います。とりあえず帰国のご報告まで。

村上泰賢 sharmili@theia.ocn.ne.jp

1997年8月19日

山川靖仁氏他3名 ヒマチャル・プラデシュ州ラホール地区チョータダラ付近で土砂崩れに遭遇

以下は山川氏からの短信です。詳しくは山川氏のホームページを参照してください。

 私は、8月17日より19日まで、スピティ谷のカザにキャンプし、近くのゴンパなど見学し、帰ってきました。マナリの森田さんにも大変おせわになりました。出発前に貴高体連山岳部の遠征計画をインターネット上で拝見しておりましたが、16日にマナリの「風来坊」に宿泊し、詳細を森田さんよりお聞きしました。今年は例年になくモンスーンの活動が活発で大変だったでしょう。私たちも13日にシムラからキンノールに入域する予定でしたが激しい雨と土砂崩れのため結局キンノールには行けず、マナリからロータン峠を越えてスピティに入りました。

 19日朝、アンモナイトの化石を求めてランザ村に行き、ラマ僧より貴隊の登頂成功をお聞きしました。村の背後に聳えるチャウチャウカンニルダの雄姿しっかり目に焼き付けてきました。

 しかし、私たちはその後大変な事故にまきこまれました。

 19日、カザよりマナリに戻る途中(クンザ峠を越え、バタルから約14q地点、チョッタドララの手前)で、氷河の融解水によって生じた土石流に襲われチャーターしていたジープ2台は流され土砂に埋もれ、私たち(日本人4人、現地スタッフ5人)のうち、日本人3人が流され重傷、日本人1人が逃げる途中足を捻挫しました。死者が出なかったのが不思議なほどの土石流でした。私も右足骨折、左足打撲の大けがでした。

 森田さんのご援助のおかげで全員帰国しそれぞれ治療等にあたっていますが、こうしてメールを出せるだけでもラッキーなことです。ウェストポーチとポケットに入っていたもの以外すべてを失い、13本ばかりの撮影済みのフイルムも流されてしまいました。過酷な自然の営みにただ畏怖の念のみです。

大変な状況下での登頂おめでとうこざいました。

    山川靖仁(mailto:yamakawa@ichigo.okayama.okayama.jp)


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