最新情報&ニュース 1999

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インドヒマラヤ ムルキラ峰(6.517m、西南より)への遠征計画

 ムルキラはヒマチヤルプラデイッシュ州、セントラルラホール地域に位置し、チヤンドラ川、バーガ川に挟まれたCB.KR.M、山群の最高峰です。この地域は、モンスーンの影響は少なく比較的、天候に恵まれています。

期間  2000年7月下句より8月一杯 33〜34日間
費用  50万円駐 (人数、為替レートによる)
人員  4名 (現在2名決定)
派遣母体     登稜会(東京)
ルート、 デリー⇒マナリ⇒ロータンパス⇒ダーチヤ(バス)以後登山活動

柳 穣 (リーダー)
東京都荒川区荒川1−55−4−605
(登稜会)TEL03−3891−2482

矢崎 政美
東京都江戸川区西葛西5−8−3−405
(あらかわ山の会、労山)TEL03−5658−2559

お問い合わせの方は柳まで、御連絡ください。
朝は8時まで在宅、夜は19時〜22時まで

リーダーの柳さんから情報をいただきました。現在参加者募集中です。この地域の主峰です。現在まで日本隊は2隊(未確認)しか登頂していないようです。

インドヒマラヤの集い

 1年のほとんどをインド・ヒマチヤールプラデイシユ州マナリで過ごしている森田千里さん(前・日本勤労者山岳連盟(労山)会長)を招いて、ザンスカール、キンノールなどのエリア紹介や今シーズンの現地での出来事など、スライドを交えての懇親会が開かれる。

 インドヒマラヤへのトレッキング、高所登山を計画中の人は是非。もちろん、計画のない人でも気軽に参加できる。

期日/12月10日19時〜21時
会場/BAR SOS金魚(東京/東急東横線自由ケ丘駅正面口から徒歩3分)
参加費/3000円(軽食、ドリンク付)
申し込み・問い合せ/ワイルド・ナビゲーション 

TEL 03-5731-8770
mailto:trvel@wild-navi.co.jp
http://www.wild-navi.co.jp

(「登山時報」 No298 1999 December 日本勤労者山岳連盟より転載)

この件について、山川靖仁氏からも情報を寄せていただきました。

冬山入山者調査-12月23日から1月9日までの山行対象

 日本山岳レスキユー協議会(日本勤労者山岳連盟と日本山岳協会で構成)が、毎年の年末年始と5月連休に「入山者調査」をおこなっているが、今冬も12月23日から1月9日までの日本全国の山行について次のように実施される。

 「調査」は、この期間に入山するパーティーからルート、期間、無線コールサインなどを登録してもらって、集約した一覧を公開する。遭難時の近隣パーティー相互での協力・応援、捜索時の情報収集、登山者間の情報交換に役立てようというものだ。

 登録は12月16日までに所定の調査用紙に記入してファクスでおこなう。集約結果は12月22日の午前10時からファクスで取りだせるほか、HPでも閲覧可能だ。
http://www4.justnet.ne.jp/~kaminomakio/res/

(「登山時報」 No298 1999 December 日本勤労者山岳連盟より転載)

日本山岳会東海支部2隊、ヒマチャル・プラデシュ州スピティ地区2峰初登頂に成功

 水野起己(48)隊長ら7名のウムドン・カンリ峰(6643m)隊は7月29日にBC(4800m)を設営、西稜にルートをとり、8月8日水野隊長と青戸慎太郎(52)隊員が高所ポーター二人とともに初登頂に成功した。

 鈴木常夫隊長ら6名のラカン峰(6250m)隊はウムドン・カンリ峰隊と同じくバラン峠(5580m)を越え、8月2日にBC(5100m)を設営。8月8日に鈴木隊長と田中守之(70)、志賀 勤(65)、渡辺くみ(63)隊員の4名と5名の高所ポーターが初登頂に成功した。

 両峰はヒマチャル・プラデシュ州の北部、チベットとの国境に近いスピティ地区にある。付近にはまだ多くの未踏峰が残されている。

(「ヒマラヤ」No337 1999 DECEMBER 日本ヒマラヤ協会より転載)

群馬県シシャパンマ登山隊1999からのファックス

 本日、11月4日全員無事にシシャパンマ登山を終えて、カトマンズに帰ってきました。 今年のモンスーンはなかなか明けてくれず、私達がベースキャンプへ入る直前の10月8日に青空が広がり始めましたが、風が強く、10月10日にはすべての隊が登山活動を終えて、TBC(シャイニーズ・ベースキャンプ)へ降りて来てしまい、入れ替わりに群馬隊がBCを建設しましたが、10月12日夜9時頃、強風のあおりでキッチンテントがつぶされてしまい、翌日、再度建て直し、隊員のメステントもロープで飛ばされないよう補強をした。

 10月14日、予定通り登山活動を開始。10月18日より3日間雪となってしまい、C1に移動した5名は上に動けず、下(BC)へも行けず、又、風の通り道の為雪掻きを日何度かやり、耐え、10月21日以降の晴天をつかみ、後から上がった名塚を加え、ファイナルキャンプまでのルート工作、荷上げを終え、C2で体調を崩してしまった久保田を残し、10月29日C3を名塚、後藤、星野、剱持、福本の5名が8時30分に出て、所によっては膝下のラッセルを行い、本峰の8027mの頂に星野を先頭に16時50分から名塚、後藤、剱持、福本の順で17時5分まで随時登頂する事が出来ました。

 下山後、連絡官の話によると、今シーズンは約10隊が登山活動を行い、3〜4隊(この辺ははっきり言わなかった)が8008mの中央峰へ登ったが、本峰へは近年めずらしい。又、10月29日の登頂日は、ポストモンスーンでは最も遅い日ではないかと言っている。(1988年、山田昇、三枝照雄、山本篤3名の日本ヒマラヤ協会隊の10月24日の記録がある)

群馬県シシャパンマ登山隊99
隊長 名塚秀二

《行動概要》

10月 2日 カトマンズ〜ザンムー

 3日 ザンムー〜ニエラム

 4日 ニエラム〜TBC(5100m)チャイニーズベースキャンプ

 8日 モンスーン明け(私見、この日より青空が広がる)

10日 TBC〜BC(5700m)移動(田島のみ体温38.7C、TBCスティ)

12日 午後9時頃、キッチンテント強風で崩壊。田島BCへ移動

14日

 登山活動開始。12時19分頃、C1途中、斜面右セラックの崩壊による雪崩が発生、規模が小さく左に40〜50m逃げて事無きを得る。

17日 星野、剱持C1建設(6400m)。

18日

 後藤、久保田、福本C1へ移動。強風、ホワイトアウト。この日より3日間雪が降り続く。

21日

 BCよりトレース作り。この頃より内山、田島が荷上げでC1に向かうが、全く届かず荷物を途中にデポしてしまう。

22日

 名塚C1移動であったが、ラッセルの為届かず。C1より久保田、福本がトレース付け及び内山、田島の荷物引き取る。名塚は隊員がモレーン状にデポした装備の掘り出しでC1に届かず。福本は今日C2へルート工作及び荷上げでC1に帰幕した。星野の助けを得てC1に戻ったが、久保田は戻る事をあきらめ、名塚と供にデポ地でビバークとなる。

24日 C2への荷上げ。

25日 C2建設(6950m)。

26日

 C3へのルート工作。9月及び10月上旬に数多くの登山者が入っていたにもかかわらずC2を出た一歩からラッセルが始まり9時15分に出てC3予定地には14時55分に到着。このC3予定地も風の通り道。

28日

 C3建設(7450m)。6名でC2を出発したが北東稜の取付の斜面に入ると久保田が遅れ出す。途中合流して調子を聞くが本人はいつものようである。ちなみにパルスオキシメーター(血中酸素飽和濃度)の数値を聞いたら、昨日の休養日は40代で、今日は朝51とのこと。これ以上は無理と判断し、1人C2へ下ってもらうが、歩き方がぎこちない。名塚が久保田に同伴して下山を行う。斜面からC2のプラトーに達する頃には足取りもしっかりしてきており顔もいくらかしまった顔に戻ってきたので、1人でC2へ帰ってもらい、名塚は再度アタックのためC3へ向かう。

29日

 C3を8時30分出発。北東稜上にある大ピナクルの手前より本峰へ向けて右上。10ピッチにて中央峰の暖傾斜帯に飛び出るが、すでに16時30分になっていた。頂上はすぐそこに見えているが、今までのラッセルを考えると、そう近くはないと思い、全員空身で行動をすることにした。その後は以外と雪質は硬く、16時50分から17時5分にわたって星野、名塚、後藤、剱持、福本の順で登頂。

30日

 C3から一気にBCへと思い、下山を開始するが個人装備、共同装備と下へ行く程荷が重くなってきて、シェルパレスのつらさを痛感する。BC帰幕は31日夜中の午前2時を廻っていた。

11月 2日

 昨夕BCに着くはずのヤクが上がって来てこない。星野とキッチンボーイを確認のためBCに向かわせる。15時5分ヤクBCに到着。

 3日 BC〜TBC〜ニエラム

 4日 ニエラム〜カトマンズ

この情報は群馬県山岳連盟事務局長、女屋等志様からいただきました。ありがとうございました。

 

第二回関東ヒマラヤ研究会開催の案内。

日 時:11月13日(土)〜14日(日)

場 所:「しんこう苑」
     〒321-2345今市市和田島2112−2
     TEL O288−26−0817

交 通:JR日光線下野大沢駅から徒歩20分
    東武日光線下今市駅から車で15分

参加費:8千円(宿泊・資料・懇親会含む)
     ※1日だけの参加も可能。

申込み方法:申込み用紙に記入の上、郵送もしくはFAXで下記事務局まで。
     参加費は別紙振替用紙で振り込んでください。

申込み・問合せ先:関東ヒマラヤ研究会事務局
   〒311-4613茨城県東茨城郡御前山村長倉609
    石澤 好文方
    TEL・FAX O295−55−2871(電話による問合せは夜間のみ)

定 員:50名  〆 切:11月1日

内 容:1999年登山報告

ナンガ・パルバット(8,126m)       労山

中国・アルタイ山脈・友誼峰(4,274m) HAJ

インド・ストック・カンリ(6,153m)     グループ・ド・モネージュ

チベット・シシャパンマM(8,027m)    群馬県山岳連盟

講演:「高所順応トレーニングについて」 筑波大学名誉教授 浅野 勝己先生

 

労山高所登山学校隊は、8月16日バギラティU峰(6,512m)に登頂

 インド・ヒマラヤ、ガンゴトリ山群のサトパント峰(7,075m)の登山許可をえて現地におもむいた労山高所登山学校隊(宮崎孝隊長以下10名)は、氷河の衰退で北稜への雪壁に取り付けず、目標をバギラティU峰(6,512m)に変更し、8月16日に登頂に成功した。

日本ヒマラヤ協会(HAJ)「ヒマラヤ」1999年11月号(No.336)より

ラメシュ・ワドワ氏よりE-Mailが届きました。

1999年10月5日、PLAN INDO TOURS PVT LTD社・社長であるラメシュ・ワドワ氏より以下のようなメールが届きました。ここに紹介(原文)します。なお、早速、リンクのページにも追加しました。

はじめまして、インドの首都デリーから観光会社
のものでラメシュ・ワドワと申します。当社が日本に
営業所おかずにお客様のインド旅行に手伝い
させていただきます。

観光だけではなく登山、トレキングなども手配させて
頂いております。当社も日本語でホームぺージを持って
おりますが登録のお願いしたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

ラメシュ・ワドワ

PLAN INDO TOURS PVT LTD
21-B,SFS,Motia Khan
New Delhi-110055(INDIA)
TEL : 91-11-354-5151
FAX : 91-11-354-1515
email : indotour@vsnl.com
Website: http://www.indotour.com

キリマンジャロ登山会員募集について

  1. 目的
     群馬県高体連登山部創立50周年を祝い、幅広く多くの仲間たちが集い、アフリカの最高峰を登山、大自然に親しみ、これからの登山部の発展に資する。
     ちなみに群馬高校教職員登山隊の第1回海外遠征(シヤルミリ、1980)から数えて20周年になります。
  2. 期間
     2000年8月上旬から中旬(2〜3週間)
  3. 経費
     30〜40万円(日数・方法により異なる)
  4. 詳細
     会員が集まった段階で、日程・方法・予算などを決定する。
  5. 申込み
     入会金1万円を添えて、7月10日、高崎工業高校へ持参
  6. 連絡先
     角田二三男  伊勢崎女子高校 0270−25−5221
                       FAX 0270−21−7763
  7. その他
     海外登山初心者、アフリカの自然に興味のある方、歓迎します。

栃木隊、ストック・カンリ(6153m)に登頂

日本ヒマラヤ協会(HAJ)「ヒマラヤ」1999年9月号(No.334)より抄訳転載

 グループ・ド・モネージュ隊(茂呂貞夫隊長ら8名)は、7月4日・5日に隊長・隊員7名と連絡官が登頂した。

同隊は、外務省から渡航自粛勧告を受けたが、インド側との連絡によって訪印した。6月28日レー空港に到着したが、町の様子は平静で、近くで戦火を交えているとは思えない程であった。6月30日ストック村、7月1日モンカルモに入った。登頂後6日にレーに下山するというスピード登山だった。

同隊がIMFで聞いたところによると、今年カシミール側に登山を予定していた約60隊のうち、40隊が自主的に取りやめ、Xビザが下りなかったためとのこと。また、7月に入ってJ&K州全域に内務省からのXビザが出なくなったとのことである。

ストック・カンリの最寄りの町レーは、J&K(ジャンム&カシミール)州に属するラダック地区の中心都市である。空港もあり、軍事上の拠点であるが、チベットの一部でありラマ教(仏教)の地域である。スリナガールなどのイスラム地区に近接しているがまったく別な暮らし振りであり静かであったことが想像される。


第20回インド・ヒマラヤ会議

 恒例のインド・ヒマラヤ会議が以下のとおり開催されました。

日時: 1月31日(日) 9時〜17時

場所: 豊島区民センター

内容: 最新情報、98年登山隊報告、情報交換


インド・ヒマラヤ登山規則一部変更

日本ヒマラヤ協会(HAJ)「ヒマラヤ」1999年1月号(No.326)より転載

IMF(インド登山財団:インド側窓口)では登山規則の見直しを行った結果、次のように変更となった。

@次の4座はトレッキング・ピークとして、連絡官不要、X(エックス)ビザ(制限地域に対して入国する場合に必要な査証のこと)不要で(登山料は)12人までUS$300。

ストック・カンリ(6153m)

ラダッキー(5345m)

フレンドシップ(5289m)

ハヌマン(6070m)

A登山隊の最小メンバーは2人とする。

Bクンの標高を正式に7135mとする。

これに伴って、登山申請書が変更になっていると思われる。正式に申請する意思のある。登山パーティ・団体はIMFに直接またはエージェントを通じ、登山申請書(Applocation Form)の最新版を手に入れるべきである。なお、@については、以前のルールに戻ったといえよう。Aについては、単独登山が許可されるようになったはずだったが、また後退したようであり、残念である。


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