永遠の命求めて


人類は誰も、永遠の命を求めている。1日も長く生きたい。「永遠の命を求
めて」の記録を文書に残す。 

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平成20年10月4日
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【永遠の命 1部】

 
 【生立ち】
まず私、青木の生い立ちを書く。私は昭和4年2月21日に群馬県勢多郡敷
島村津久田90番地に青木良吉の5男として生まれた。当時は大正不況から
軍国時代に移り変わる時代で、田舎では生活が苦しくて娘を売る人もいた時
代だった。農業でしたが生活に苦しく、国からの借金の返済に家中が働いて
いて私も小さい時から一人で家の留守番をしていた。4歳ごろからは下の兄
弟の子守もした。

生い立ちについては、別紙に書く。

敗戦後、国内は人心ともに乱れ、隣国、韓国と朝鮮に戦争が始まり、いつ日
本に飛び火してくるかも知れぬ時代だった。日本国では、国を防衛するため
に新しく警察予備隊を作った。私は21歳の時、昭和25年9月21日、東
京管区警察学校警察予備隊に入隊した。50歳まで勤めた間のことについて
は別紙「50歳定年」に書く。

浦野さんと共に、昭和21年、東京管区警察学校に入隊する。浦野さんとは
同じ分隊だった。浦野さんは大正7年生まれ、分隊長だった。その後中隊や
部隊が変わっても付き合っていた。今の自衛隊はこの警察予備隊を改名した
もので防衛庁の前身である。

  【永遠の命 第1部その1】


私が定年後15年ぐらい経ったとき、自衛隊の友人浦野さんの家を訪ねた。
浦野さんが脳溢血で倒れてから半年ぐらい後のことである。

浦野さんは歩行訓練をしていた。奥さんが肩を貸し、浦野さんをやっと歩か
せていた。奥さんは青木を見て「青木さん、折角尋ねて来てくれたのに、こ
んな姿になってしまったので寄ってくれとはいえない」と言った。

歩行訓練中は奥さんが肩を貸していた。浦野さんは一人では立つ事もできな
い。言葉もしゃべれない。私は仕方なく、寄らずにそのまま帰った。

 
 【永遠の命 第1部その2】

それから1年6ヶ月位たって、「浦野さんはどうしたかなあ」と思い浦野さ
んのお宅へ行って見た。もしやと思い、近くの浦野さんの子供の家に寄って
様子を聞くことにした。「浦野さん如何しておりますか?」と訊ねたところ、
驚くような返事だった。

「庭にいなかったかね。柿をもぐと言っていたから行って見てください。」
と言われて、びっくりした。あれほど悪かった身体なのにと思いながら浦野
さんの庭に行くと、浦野さんが大きな声で「青木君よくきたなあー」と言う。
びっくりした。

  
【永遠の命 第1部その3】

「浦野さん元気な姿を見て驚きました」というと、浦野さんは「青木君、こ
の前来たときよって行けと言ったのに帰ってしまった。残念だった」と言う。
実はここにつるしてある蜂の巣が俺の体を直した恩人だと言う。

青木君がこの前来た頃は一人ではとても立てない、歩けないという状態だっ
た。毎日毎日妻の手を借り肩を借りて歩く訓練をしていた。声も出している
つもりなのに相手には聞こえない。

訓練をしていたある日、畑の中の畦道で、妻が家に人が来たので待っていて
ねと畑のあぜに座らされた。家に行って来るからと妻は家に向った。

妻が家に行った其の間の出来事である。身体が効かないのに仰向けに倒れて
しまった。後ろは3メートルくらいの土手なので、そのまま転がり落ちる。
下の畑は植木の畑で草が鬱蒼としていた。

植木の木に蜂の巣があり、蜂は熊ン蜂で、その巣はひとかかえもある大きな
ものだった。その巣に頭が当ったので、蜂がうなって飛んできた。頭や首筋、
そして背中にまで8ヶ所も刺されてしまった。意識不明になり、自分で気が
ついたのは12時間後だったという。

  
【永遠の命 第1部その4】

奥さんはお客が帰ったのですぐ畑の畔に戻ってきたが、いたはずの夫が見当
たらない。彼方此方を見回すと土手下の植木の下、蜂が飛び交う草の中で横
たわっている、夫を見てびっくりした。沢山の蜂がいるので近寄ることもで
きず、大声で「あんた」と呼んだが何の答えもない。仕方なくすぐに近所の
人を頼んで大騒ぎになった。

近所の人たちが蜂の駆除をしてくれたのでどうにか家に背負って帰り、布団
の上に寝かせた。

かかりつけの医者に連絡したが「脳溢血でどうにもならない。そのうえ、蜂
に刺されて意識がまったくないのでは病院に連れてきても手当てのしよぅが
ないからそのまま寝かしておいてください」と云われた。「もし亡くなれば、
死亡診断書は書きますから」とも言われた。

なんの手当てもできず家の子供たちや近所の人たちと、午後10時ごろまで
見守っていたが、夜が更けてきたので近所の人たちにとりあえず帰って休ん
でもらう。子供たちも帰り、自分も夫の床のすぐ脇に床を敷いて横になった。


  【永遠の命 第1部その5】

妻は一日の疲れでいつしかうとうとと眠りについた。夜中2時頃、突然「腹
が減った」という大きな声に目を覚ました。約1年近く口もきいていない。
話しても声が全く出なかった夫だった。浦野さんの奥さんは夫の声に、狐に
だまされているのかと疑っていた。が、その全身不随である浦野さんは「便
所へ行ってくる」と立ち上がり、便所からまた戻ってきた。

夫の姿を見て、自分を疑った。夢でないのかと思った。しかし、夢でなく、
真実の夫が便所より戻り、「腹が減った飯を食わせろ」と言った。


  
【永遠の命 第1部その6】

このときから、夫も元気になって、パチンコがしたくなり、車を買って中之
条まで行くようになった。畑仕事までするようになった。

熊ン蜂に刺されてから2年ぐらいたったある日のことである。浦野さんの家
に立ち寄り、夜遅くまでいろいろと語り合った。人間、死を前にしたことで
始めて永遠の命がほしくなる。「薬はないか」といわれたので、ある薬草で
青木も元気になったと話した。ぜひその薬草というので2ヶ月も飲んで見ま
すか、きっと10年は必ず長生きをしますと言った。其の薬草を浦野さんが、
飲みたいというので持っていくと約束した。その夜は帰って3日後に届けた。


  【永遠の命 第1部その7】
その後なかなか忙しくて浦野さんを訪ねなかった。どうしたかと5年後にな
るので訪ねたところ、家には誰もいないので裏に回ってみた。裏の子供の奥
さんが「お父さんはパチンコにいっているよ」という。

お母さんは近所にでかけているということで会うことはできなかったが、
「元気だ」というので、そのまま帰った。その後6年ぐらい経ったころ、再
び訊ねた。

今度は家の様子が変わっていた。庭に草が生えて、どう見ても住んでいない。
すぐ裏の子供の処で聞いてみた。「老後は養老院でと夫婦相談の上行ってし
まいました。1日も長く生きる道としては一番良い」と子どもは言っていた。


  
【永遠の命 第1部その8】

なるほどと思った。浦野ご夫婦は、やっぱりこの世の中で一番よい道を選ん
で元気いっぱい生きている。うらやましいと思った。

この世の中に運 不運があるが浦野さんは運がよかった。誰が考えたってど
うにもならない、とても考えられない不思議な事が起こったのだ。どう考え
てもありえない事で生き返り、元気に生きている。一度死の世界から戻った
人のこの世に永く生きたい。信念を持ち、永遠に生きたいと。

人は一生のうちに運に報われる。其の運を大事に生きる。浦野ご夫妻は生き
方をうまく使っている。幸福と不幸の連続にあえぐ今日、自分自身が生き方
を選び進むことが大切だと思った。

浦野後夫婦に教えられました。

                   渋川市赤城町津久田    青木良明