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平成17年12月14日

世にも不思議な事ばかり

(その1)青年学校の先生に会う

今から60年前、青年学校で教師をしていた狩野先生をたずねた。先生は昭和15年に群馬青年師範学校を卒業して粕川青年学校の先生となり、昭和20年に敷島青年学校(現在の赤城村)に着任した。敷島青年学校のときでは私の恩師だった。

先生はこの青年学校から昭和25年に利根農林高等学校に転任、そして利根農林高校で20数年勤務した。その後埼玉医大予備校に転任、10年間講師をしていた。退職後赤城村にもどり、老後をすごしている。

その先生をたずねたところ、とても懐かしがって話がはずんだ。先生の勝れた教師生活時代の話、なかなか他の人ではできない数々の話などを聞いた。

これらの話のなかで、省力百発百中、うめの通年芽接ぎのやり方、その他について、誠文堂・新光社発行の [農耕と園芸]という雑誌に掲載された。昭和40年から数年にわたっている。

教師として戦前戦後の混乱期に努力してきた、優れた優れた先生である。

利根農林高校教師20数年、先生は赤城村に生まれ育ち、そして住んでいる。その当時のことや、数々の偉業について私のホームページにのせる事を約束した。

先生は、上記の「農耕と園芸」の8月号に「永井さんのウメ栽培−成功は偶然でなかった−(特別ルポ)」を発表した。その後もこの雑誌に時々書いている。今後、これらの園芸についての先生のことを連載します。

この先生が、私の土地問題と全く同じ問題で被害者であり、現在係争中ということを聞き、とても驚きました。

                   青木良明