私と物理
- 夢見る少年時代・・・
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小学生の頃は今いる世界とかけ離れた存在に興味を持っていました。
具体的には、古生代、中生代などの大昔の地球。
小学校のクラブ活動で、科学クラブ(名前は忘れてしまった)に入り、そこで県内の何カ所かへ化石を取りに行きました。
タガネとハンマーを使い、岩石を注意深く割って、中から化石がでたときには大変感動したものです。
見つけた化石は広葉樹の葉や二枚貝など、そこらにたくさんあるものでしたが、自分で掘り出したものという意識があり自分にとっては大切な宝物でした。
また、地球の外の世界、宇宙にも大変興味がありました。
夜晴れた日は、たまに外に出てゆらゆら輝く星をみるのが好きでした。
- 今思えばたいしたことないのですが、当時は
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星って何でゆらゆら輝いているんだろう
星は何で昼間見えないんだろう
夜の空は真っ黒なのに昼の空は何で空色なんだろう
など、いろいろな疑問を持ちながら空を眺めていました。
今ではそんなに珍しく感じませんが、当時は月食などの天文現象にも関心がありました。
夜中の1:00頃に月食が起こるということで、親に起こしてもらって観察したこともありました。
このようなことに興味を持っていた自分は、恥ずかしながら将来天文学者などになってみたいと思っていました。
- 相対性理論との出会い・・・
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天文関係に興味を持っていた自分はテレビ番組でもそれに関係するものはなるべく見るようにしていました。
確か中学1年生の時、朝日テレビで夜11過ぎに、『COSMOS』という、カール・セーガン博士が説明する7、8回(?)シリーズの番組がありました。その番組を見ていくと、話のバックボーンは確かに宇宙に関することなのですが、内容の大半はアインシュタインの相対性理論に関することでした。
光速を越えることはできない。
光速は誰から見ても一定。
高速で動く慣性系の時計は遅れる。
重力が強いほど時計は遅れる。
等々
今まで全く知らなかった世界が紹介されました。
特に、時間の進み方が見る人の立場で異なるということは、それまでの概念(古典的相対論・・・時間はすべて共通に進む)を根底から覆す内容で、自分にとっては”知識の革命”でした。
この番組を見て以来、自分はもっと相対性理論を理解したいと思うようになり、天文学から物理学へ興味関心が向いていったのです。
- 量子論・素粒子物理学との出会い・・・
物理学に思いを馳せながらも、これといった特別のことがなかった中学校を卒業し、高校入学までの約3週間の暇な時間がありました。この間に少しでも相対論を知りたかったので、ブルーバックスの相対論関係の本を3冊買い込み読んでみました。2冊はわりと分かり易く書かれており、楽しく読めた本でした。
その1冊に”プランクの量子仮説”が書かれてあり、これも相対性理論ほどではなかったけれども自分の常識を覆す”知識の革命”でした。
当然のことながら、量子論についても、もっと知りたいという欲求に駆られたのです。
高校に入学して学校帰りによく本屋により、たしかその当時すで発売されていた、『ニュートン』や『クォーク』などの科学雑誌を見るのが日課のようになっていました。
その雑誌で、物質の究極の素粒子”クォーク”、自然界の”四つの力”、その力を統一的にとらえる”大統一理論”などの最先端の情報を知り、これにも興味を持つようになりました。
この研究に日本としても筑波の高エネルギー物理学研究所(KEK)が”トリスタン”を建設し挑戦しようとしていることを知り、自分もそんなところで仕事ができたらなぁと思ったものです。
このような状況でますます物理をもっと勉強したくなったのです。
- 一時的な迷い・・・
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高校で物理を勉強し始めたのは2年生になってからでした。
期待に胸膨らまして望んだ授業は思っていたほど楽しいものではなく、ちょっとがっかりしたところがありました。さらに、多くの人が物理を嫌いになるように、なにを隠そう自分も挫折しかかったことがありました。
その挫折の原因は”座標”でした。数学のように平面座標上の動きのないものであれば分かり易いけれど、物理には動きがあり、さらに、その動きには符号がある、俗に言う”ベクトル”に関することです。その部分が十分理解できなかった自分はたびたび符号のミスを犯してしまったのです。
そのころ、自分にとっては”数学”が一番得意な教科になっており、物理をやめて数学にするかなぁと考えたこともありました。
- 大学進学・・・
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3年になり、いよいよ大学進学を考えるようになって、数学にするか物理にするか決めなければならなくなりました。
その当時、一番得意だったものは数学でした。でも、得意だけれど自分は数学に対して”夢”とか”ロマン”のようなものを感じることが出来ませんでした。
一方物理は、確かに好きでしたが、なかなか点数がとれないという状況でした。でも、物理には”夢”とか”ロマン”が感じられました。
さんざん悩んだあげく、大学でより深い勉強をするなら”夢”とか”ロマン”を追いかけた方がおもしろいだろうと考えて、大学では物理を勉強しようと決めました。
大学で物理をしっかりやるためには理学部に進まなければならず、かといって、どの大学でもよいという気持ちになかなかなれず、筑波大学に行きたいという気持ちしかありませんでした。それは、大学の近くに高エネルギー物理学研究所があるからでした。近くにいれば見学なども何かと便利だろうと考えたからです。
しかし、勉強の甲斐なく共通一次試験で英語と国語で失敗し、思った点数がとれませんでした。筑波をあきらめどの大学にするか迷っていたところ、担任の先生から千葉大学理学部を勧められました。でもやっとこボーダーにとどくあたりで、両親が絶対に浪人はだめだということだったので、安全圏ということで、群馬大学教育学部の高校教員養成課程に決めました。このときは一所懸命勉強してどこかの大学の大学院にでも進学しようと思ってました。
- 二度目の迷い・・・
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大学に入学してみると、理科に高校時代の友人が多くいました。楽しい大学生活の始まりでした。その中で新しい友達もでき、友達と酒(焼酎)を飲んでわいわい騒いで語らうことが多くなりました。その中に、コンピューターを持っていた友人(吉野さん)がいて、使わせてもらっているうちに自分もほしくなってコンピューターを買いました。
コンピューターを買って、BASICでプログラムを組んでいて、おもしろくておもしろくてどんどんのめり込んでいきました。98のBIOSの解説書やいろいろな雑誌を買って98の低レベルのプログラミングについてどんどん勉強していきました。
時代はMS−DOSになり、それについても雑誌から独学しました。C言語も独学して、DOS上のプログラミングもしました。
プログラミングをする上で、自分はどうしてもそのプログラムが動作する環境(仕組み)について興味を持ってしまい、いつもOSについて独学していました。これはWindowsになっても同じでした。おかげで普通に人よりのもOSに関して知識が多くなりました。
大学4年で就職先を考えるようになったとき、教育学部なので当然多くの人が教員になる中で、一部の人は県庁職員になったり、民間会社に就職していきました。自分も大学では物理を、独学でコンピューターを勉強して、どちらも好きなものなので、教員になるか民間会社に就職するかいろいろ迷いました。
- 一生の仕事・・・
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就職先を決めるのに、教員か民間かで大きく悩みました。自分の性格からして、教員になるのに多少の不安があったし、コンピューターに関しては非常に強い興味関心があったからです。
いろいろ悩んだ末、教員になることに決めました。その大きな要因は、
- 物理は昔から好きだった
- 趣味と仕事は分けよう
- コンピューターはこの先も趣味として出来るが、物理を趣味としてやっていくのは非常に困難だ
- 物理の最先端のことは理解できないが、自分で教えながら物理についてもっと深い理解をするように勉強していこう
等々、考えたからです。
いま、物理を勉強する生徒数が減少している中で、物理だけを教えていればすむという状況ではなくなってきて、化学、生物、地学についても教えなければいけないときには、教員の仕事をつらいと思うこともあるが、物理を教えているときは、非常に楽しい。自分が好きな物理を自分が教えていて、生徒が理解して問題が解けるようになるのを見ていると、教員やっててよかったと心から思えます。
やはり、物理は自分にとっての一生の仕事です。
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