我が家の自称資料室には200枚近い色紙があります。平成7年度〜11年度にかけての5年間担当した、商業科進学コース(各学年1クラス)の3年生「英語UC」(7年度)及び「ライティング」(8〜11年度)の授業での生徒の作品です。私はこの科目を通して「コミュニケーションとしての書くことによる自己表現活動」を心がけてきました。上述の色紙は、年度末の課題「高校生活3年間またはこれからの自分の人生を象徴する英語(できるだけ単語)を、自分なりのデザインで書きなさい」に基づく作品です。
たとえば7年度卒生徒で “pluck”という語を選んだ作品があります。「『困難・危険に立ち向かう勇気』という意味の語の中に“luck(幸運)”の綴りが含まれているので選びました」という生徒のコメントが付いています。彼は推薦入試では不合格でしたが、都内の私立大に一般入試センター試験方式で合格し、今は地元に戻り、金融機関で働いています。
自分史または現代社会
教科書の構成を利用し、学期ごとにまとまった“作品”に取り組みました。1学期は自分史または現代社会です。自分史では、乳幼児期、小学校、中学校、そして高校(2枚)、計5枚の写真を台紙に貼り、その写真説明を英文で書きました。年度によっては、現代社会を象徴すると思う英単語を選び、なぜその語を選んだのか英文で説明する、という課題にしました。11年度の生徒の中には、自分が生まれて以来の十数年間(バブルとその崩壊)を踏まえて“pretense(見せかけ)”という語を選んだものがありました。
志望理由
夏休みをもフル活用し、2学期の2ヶ月にわたって取り組んだのがこの「志望理由」です。夏休みを使ってインターネットや学校見学・会社説明会、先輩・知人の取材により情報を集め、それらを根拠として志望校や応募企業の志望理由書を英文で書く、というものです。生徒には、情報を自分の足と眼で手に入れてそれを自分の言葉で表現することで相手(学校や企業)を説得することを求めました。そのためには論拠も重要だが、内容構成も同様に大切であることを訴えました。生徒にとっては採用試験や推薦入試の時期に重なりますので、いい準備になったのではないかと密かに思っています。
豊かさとは何か
一方、毎年うまく行かなかったのが、2学期後半、「豊かさとは何か」をテーマとする英文エッセイでした。岩波新書「豊かさとは何か」(輝峻淑子著)を統一の参考図書として、自分なりの豊かさを考えてほしかったのですが、生徒には課題図書の消化そのものが難しかったようです。推薦入試の面接で「これまで読んだ中で印象に残った本」としてこの本を挙げた生徒が毎年数人いたそうです。思わぬ付随効果(?)に苦笑を禁じ得ませんでした。
死刑制度は是か非か
学年末考査のテーマは毎年これでした。事前に授業で共通の課題英文(死刑廃止論の立場)を与え、その内容を踏まえて自分の立場を3点以上の論拠を立てて5段落以上の構成で論述します。もちろん辞書持ち込み可です。
このテーマに関しては毎年考えさせられました。課題英文を与える前に「死刑制度の是非」を問うと、毎年8対2で死刑制度賛成派が圧倒的多数です。しかし課題文を読み、各自が図書館やインターネットで検索した後は、少なくとも7対3で死刑廃止論が多数派になるのです。考える機会を与えられると死刑廃止論が多数派になる、という5年連続の事態は偶然でしょうか?
過去または未来
そして話は色紙(年度末テーマ「高校生活3年間またはこれからの自分の人生を象徴する英語」)に戻ります。私的に最も印象深いのは10年度生徒の作品“You can”です。彼女は自分に自信が持てず、第1希望進路を自らあきらめてしまい、続いて目標とした希望も一時くじけそうでしたが周囲の支えと本人の取り組みで踏ん張り、実現できたのでした。彼女が自分だけの“I can”(私はできる)ではなく、“You can”(あなた、あなたたちもできるよ)と表現したところに彼女の自信獲得と成長を見る思いがするのです。
ただ気になることが一つあります。過去・未来のどちらを選ぶかは本人の自由ですが、7年度は3対2で未来が多数派だったのが、11年度には3対2で過去を選ぶ生徒が多数派でした。時代の閉塞感がそうさせたのかもしれませんが、生徒たちの前途を思うと気がかりです。
終わりに
いささか古い実践で申し訳ありません。平成12年度以降、太商では「ライティング」は選択科目となり、以後4年間私は科目担当から外れているため、この実践が続行できない事情があります。お許しください。
また「自己表現としての作品製作」というコンセプトは、現伊勢崎女子高校の須田章七郎先生(芸術科書道担当)の実践にインスパイアされたものです。先生の実践には遠く及ばないことを恥じつつもここに御礼申し上げます。
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