群馬大学教育学部の統合問題についての見解 
 
わたくしたち全群馬教職員組合教育研究所と群馬県高校教育研究所は、群馬大学教育学部の統合問題について、以下のように考え、見解を表明いたします。
 
昨年1月以降、群馬大学と埼玉大学の両学長間で懇談会がもたれ、協議が進められる中で群馬大学の教育学部を埼玉大学の同学部に統合する案が出ていることが報じられました。以来、群馬から長い歴史と伝統をもつ教員養成の機関が消滅してしまうことを憂える人たちによって、「群馬大学に教育学部を残す会」が組織され、存続要請の署名運動が精力的に取り組まれてきました。その結果、短期間に実に20万を超える署名が集まっているとのことで、この事実は、統合問題に対する県民の関心の高さと、群馬大学教育学部の存続を願う声が圧倒的に多いことを示しています。
 わたくしたちもまた、地域に根ざし、地域に責任を持った教育が行われるためには、群馬の地に教員養成の場が欠かせないと考えます。なぜなら、こどもたちがすこやかに学び育つためには、単に教科書に書かれた知識を頭で理解するだけでは充分とはいえず、こどもたちを取り巻く環境、風土、自然の中での体験を通じてこそ真の学びが可能になるからです。そのためには、何よりもこどもたちを教え導く教師たちの中に、群馬に生まれ育ち、地域に精通した人間が必要です。百歩譲って県境を越えた国立大学同士の再編統合が必要だとしても、すべてを埼玉大学大久保キャンパスに集めてしまうのではなく、これまでどおり、前橋荒牧キャンパスにも教員養成の課程を残すことが重要だと考えます。
 
しかしそれ以前に何よりもわたくしたちが疑問に思うのは、なぜこの「統合」が必要なのか、という点です。少子化に伴う児童・生徒数の減少によって教員の需要が減ったから、といわれていますが、はたしてそうでしょうか。
群馬県では、従来おこなわれてきた「さくらプラン」「わかばプラン」などに加え、今春から30人学級の導入が図られるとのことです。新聞報道によれば小学1年生のみ、それも当面「さくらプラン」をとるか「30人学級」をとるかは各学校の判断にまかされるとのことですが、今後一層この方向を推し進め、小学校の全ての学級はもとより、中学高校でも早期に30人学級を実現することは多くの父母県民の願いになっています。そうなれば当然教員の数は現行制度よりたくさん必要になるでしょうし、仮にそれが実現したとしても、他の先進諸国の水準に比べれば、まだまだ1学級の定員は多すぎると言わざるをえません。一人ひとりのこどもたちに真に行き届いた教育を実現していくためには、決して教員の需要は減少していない、と言えるのではないでしょうか。
 
加えて見逃せないのは、教育の場に大規模経営の有利性(スケール・メリット)という考え方が持ち込まれていることです。人を育てる仕事は工場で製品を作るのとは違います。大量生産によってコストダウンを図る「経営の論理」が、そのまま教育の場にあてはまるはずがありません。今回の統合問題の背景にある効率性と採算性のみを重視した「独立行政法人化」から、さらには公教育に対する国の責任を放棄するものともいうべき「国立大学の民営化」を意図した教育政策に対し、深い憂慮を表明するものです。
 
 さらに大きな問題だと思うのは、群馬大学の統合問題をふくむあらゆる「教育改革」が、直接教育活動にたずさわる当事者の多くがまったく知らぬ間に一方的に推し進められているという事実です。突如「上意下達」の形で示されるいわゆるトップダウンの手法は、戦前の勅令主義を思い起こさせ、教育の場における民主主義の否定とも言うべきものです。
昔から「教育は国家百年の大計」と言われてきました。しかし現に進められている大学の統合再編計画は、目先の利益を追求する視点でしか教育を考えておらず、国民の高等教育に対する願いに逆行するものと言わざるを得ません。
 
以上のような観点から、わたくしたちは群馬大学教育学部と埼玉大学との統合に反対します。そしてなによりも、たくさんのよき教師を育て、世に送り出してほしいと願っています。あわせて群馬大学教育学部が地域の大学として、教員養成のみにとどまらず、現職教員の研修や広く県民の学びへの要求にも応える、より開かれた大学へと果たすべき役割を広げていくことを期待し、要望するものです。
 2003年3月  
 
全群馬教職員組合教育研究所
群馬県高校教育研究所

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