地域の目&芽 
    12回目を迎えた利根沼田の教育懇談会                     沼田高校 林 寛二

 こぢんまりした会ではありますが、利根沼田の教育懇談会も先月の集まりで12回を数えました。もとものスタートは、昨年の国会情勢を機に県内各地で「教育集会」を計画し、地域から教育・学校を語ろうという提起に沿って動き出したものです。昨年の国会に上程されていた法案は、「問題ある子どもの排除」「指導力不足・不適格教員排除」「奉仕活動の押しつけ」「通学区の撤廃」「大学・大学院飛び入学」が内容であり、その先には「教育基本法の見直し・改悪」までが狙われているものでした。(「教育基本法改悪」は今まさに俎上に上げられてきていますが・・・。)この、国・文部省を中心とした教育改革では、子どもたち・学校にとって真の改革にならないことは明らかであり、地域から自分たちの声をあげていく・・・それこそが、真の教育改革の第一歩ではないか・・・そんな呼びかけをしました。
 かつて利根沼田には、「教育を語る集い」のすばらしい伝統があり、山田洋次氏、三上満氏、家本芳郎氏、宮川ひろさん等々の講演会を開催し、また教育小集会も行われてきました。「ゆきとどいた教育を求める3000万署名」がスタートした頃は、「利根沼田ゆきとどいた教育をすすめる会」を結成し、教育小集会の場で自分たちの思いを語ってきました。その伝統や営みが一時期停滞して休止状態になってしまったことは、反省とともに残念なことでもありました。高教組の仲間の減少や職場の多忙化などが原因だったのかもしれませんが、それでも諸課題で全群教との連携はずっと保ってきたので、4年前から「利根沼田教職員文化祭」を合同で開催することができました。そして、今回の教育懇談会の再スタートとなり、小さいながらも会を続けています。原則的に、1ヶ月に1回くらいということになってはいますが、冬の間は諸事情により何ヶ月か空いてしまいました。しかし、今度は長期間休止することなく続けられればと願っています。 メンバー(といっても、会員制ではなく、参加自由ですが)は、小・中・高の教職員、母親、父親、子どもさんのいない地域の男性もいます。何度かやっているうちに、テーマを絞って議論を深めようと思ったのですが、毎回一人ずつ自分の思いや疑問などを話してもらうと、けっこうテーマが多岐にわたり、絞りきれずにここまで来てしまいました。特に必要がなければ、しばらくはこのままの形でやっていくと思います。
 さて、ではどんな話がされているかというと・・・まとめるのはむずかしいのですが・・・特徴的な、印象に残っているものを少しあげてみます。
 まず、学校でいわゆる「問題のある子ども」に対して、どうしたらいいのだろう・・・という周囲の母親からの悩み。その子どものことで学級はたいへんになるのだが、問題のある子どもは寂しいのだろうし、子どもの本質を理解するにはどうすればいいのだろうか。そして、その子どもと親にどう接すればいいのだろうか・・・むずかしいが、しかし、とてもたいせつな事だと思いました。自分の子どものことだけでなく、他の子どもたちのことを真剣に考える・・・今の世の中で一番欠けていることのような気がします。あわせて、そういう子どもや、不登校の子どもに対する学校の対応に対する疑問も出されました。教師や学校が親に対してガードを固めているという感想も。親同士がどうつながるか、親と教師がどうつながるか・・・それが教育の極めて重要なポイントのような気がします。
 学校への疑問では、校則への疑問、教師の対応への疑問、個性の重視と言いながら個性をつぶしている等々、ほんとに様々な事例が出されました。PTA会長をなさっているお母さんは、いろいろ感じることがあって動こうとすると壁に突き当たる・・・と言っていました。学校の風通しの悪さは、私たち中にいるものの想像以上に保護者の人たちの方が感じているのだと思います。学校を少しずつでも変えていくのは、やはりお父さん、お母さんや地域の声が必要かもしれません。
 学校への疑問はまだあります。少人数授業(習熟度別授業)についてです。高校での習熟度別授業の是非についても語られましたが、何と言っても小学校や中学校で理解の早い子どもと遅い子どもをいろいろな名前を付けたり希望という形をとったりしていますが、分けて教えていることです。「その方が良くわかり、子どもたちのためになる」という理屈に何となく納得させられてしまう人が多いのでしょう。しかし、結局の所教師も子どもも「出来るクラス、出来ないクラス」というとらえ方をしてしまうのは避けられないでしょう。小さい頃からずっとそういう学校生活を送るということの功罪を考えたときに、子どもたちの心理的なマイナス面は計り知れないのではないか。そんな声も聞かれました。
 ところで、この会に参加するお母さんたちの楽しみがひとつあります。それは、毎回のように小学校に勤務している宇敷先生が、自分の今関心を持って研究していることや、授業での実践、子どもたちの様子を紹介してくれるのです。水の研究、雪づくりの話、磁石を使ったのぼり虫、草木染め(茜)の話、だんご虫の話、カマキリの話、学級通信の話、等々で、それにまつわる子どもたちの様子もいきいきと語ってくれました。お母さん方は、宇敷さんの話のように、子どもたちが目を輝かせて、発見すること、学ぶことのおもしろさを感じさせてくれる授業を望んでいました。宇敷さんは、学校楽しいことが第一だ、といいます。しかし、楽しくやっていると罪のような風潮がある・・・とも。意味のない研修が多かったり、ますます多忙になって余裕がなくなっているということもあります。親や子どもたちの願いと学校はどうしてかけ離れていってしまうのでしょうか?
 現代の子どもたちのしつけの問題・・・あいさつができない、ゴミを平気で捨てるなどの話もでました。学校でのあいさつの強要も疑問、との声も出ましたが・・・。キャンプや行事などの場面で、子どもたちが自立していない、という声もありました。学校だけの問題ではなく、家庭の問題が大きいだろう。やはり、過保護になっているのではないか、という声も聞かれました。地域で遊ぶことが少なくなっているとも。子どもというのは現代の情勢が反映する鏡のようなものですから、政治、経済から労働問題、男女平等問題、等々大人が作ってきた社会の申し子です。そういった様々な問題に対して私たちがどう考え、どう行動し、どういう社会を築いていくか・・・そのことが長い目で見れば子どもたちの教育にもつながってくる・・・そんな気もします。
 次回は、教育基本法について教育懇談会で語り合う予定でいます。

参加者の声
 3人目の息子も高校に入り、ちょっと一息つけるかな、と思っていたのですが息子の描いていた高校生活とだいぶ違っていたようで悩みを聞くことしかできず、息子のため息に母親の私も元気をなくしてしまいました。タイミングよく教育懇談会のお誘いをいただき、顔を出してみますと、初めてお目にかかる方も何人かいらしたので、いつもより控えめにしていました。高校の先生がこんなに参加されているとは思いもよらず、本音はちょっと言えないかもと思ってしまいました。悩みをさらけ出すことなど学校の保護者会では考えられません。一方的に受験情報を浴びせられ、頑張るのみと締めくくられてきたことに慣れきっていたんですね。懇談会は、回を重ねるごとに親の本音の声を深く掘り下げて話し合われ、教育現場での先生方の悩みと重なり合い、現実を受け止め合えたのではないかと思います。不透明な時代、不安だけが先行しがちですが物事の本質をしっかり捉え、子どもの人格を尊重し、自立を見守れる親でありたいと思います。この懇談会が開かれたことによって、ざっくばらんな討論が交わされ物事に対する考え方も深まったのは、私だけではないと思います。今年も仲間を誘ってこの会の魅力を広めていきたいと思っています。(沼田 原田康子)

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