教育基本法の見直し(中間報告)をめぐって
高工 針谷 正紀
私は、昨年6月に結成された「子どもたちを大切に…いまこそ生かそう教育基本法」全国ネットワークの運動に世話人の一人として積極的に関わってきました。 私の所属する群馬高教組高崎支部内においても、支部長として「教育基本法の見直し」をめぐるテーマで昨年8月、12月と2回の支部教研を開催してきました。それらの実践と現在の現場の教育実態をふまえ、今回の中間報告の第2章 新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方の内容を「1 見直しの主な視点」「2 見直しの方向」の二点から概観し、そのねらいと反動性を明らかにし、現場での闘いの一端に触れてみます。
1 「見直しの主な視点」の目玉である「公共」の再構築 報告は、現行法の「個人の尊厳」「真理と平和」「人格の完成」などの基本理念は今後も大切と冒頭ことわりながら、現行法では次の6つの重要な理念や原則が不十分で、「見直しの主な視点」として加味すべきだと主張します。「@国民から信頼される学校教育の確立、A「知」の世紀をリードする大学改革の推進、B家庭の教育力の回復、学校・家庭・地域社会の連携・協力の推進、C「公共」に関する国民共通の規範の再構築、D生涯学習社会の実現、E教育振興基本計画の策定」。これらは全て現行法に包摂されている視点ではないでしょうか。 そのなかで、今回の見直しの急先鋒といわれている自民党文教族(森・町村らの歴代文部大臣)が狙っているのが彼ら流の公共・伝統概念に基づくCの「『公共』に関する国民共通の規範の再構築」であると私は考えます。 彼らはこの間、教育勅語の再評価とともに、現行法には、「『公共』に主体的に参画する意識や態度の涵養の視点」「日本人のアイデンティティ(伝統、文化の尊重、郷土や国を愛する)の視点」が欠けておるとの主張を一貫して行ってきました。当初、教育基本法の見直しに消極的であったといわれている文科省の官僚の尻を叩き、諮問に踏み切らせた背景に自民党文教族の「復古的ナショナリズム」にかける執念を見ます。@・A・B・Dは現行法の下で次々と政策化され、推進されています。実効がなかなか挙がらないことを現行教育基本法のせいにするのは筋違いです。「教育振興基本計画の策定」は本来「第10条 教育行政」がになう教育諸条件整備の実践課題のはずです。わざわざ現行教育基本法を改正し、そこに法的根拠をおく必要はありません。見直しや改正の有効な論理が発見出来ず、無理やりこじつけているという印象を持ちました。
2 現行の第1条・第2条(教育の目的・方針)に付け加えるべきものはない 「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にして個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない」という前文については「見直し」の方向は、なぜか、今回の報告では留保されています。しかし、教育の基本理念を示す第1条(教育の目的)、第2条(教育の方針)に関して、現行法の基本理念に加味すべきこととして、以下の検討課題を提起しています。「@個人の自己実現と個性・能力の伸長、創造性の涵養、A感性、自然や環境との関わり、B社会の形成に主体的に参画する『公共』の精神、道徳心、自律心、C日本人としてのアイデンティティ(伝統、文化の尊重、郷土や国を愛する心)と、国際性(国際社会の一員としての意識)、D生涯学習の理念、E時代や社会の変化に対応した教育、F職業生活との関連の明確化」。 上記のB・Cについては「見直しの主な視点」で触れたので、その他の@・AD・E・Fを見てみましょう。これらの内容はいずれも、重要な指摘となってはいますが、教育の目的・方針に書きこむものとは思えません。現行の条文である「人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的な精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期す」(目的)や「教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するよう努めなければならない」(方針)の格調の高さと比肩できるものではなく、それに併置すべきものでもありません。
3 教育基本法第8条(政治教育)に依拠した教育実践
私が教職についた前年(1966年)に中教審から「期待される人間像」が発表になり、教育勅語に類似した古色蒼然たるその内容に驚きを禁じ得ませんでした。生意気盛りの教師1年生の私は、職場で半年かけてその読書会を組織し、その実践をまとめ、全国教研に正会員として参加しました。今、教職を去る1年余を前にして、教育基本法の見直しと改正の動きが本格化するに際して、改めてその阻止の運動に参加し、現場で教育基本法を生かす実践を試みていることに、ある種の感慨を覚えます。私はこの間、「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない」(第8条政治教育)に依拠し、日本史A・現代社会の授業で、「拉致問題と歴史の負債」に焦点をあて、大量の時事問題資料を生徒に提示し、学習してきました。メディアのバランスを欠いた一方的な報道に抗した実践を通して生徒の歴史認識の歪みは一定程度、是正され、複眼的な歴史観の形成に寄与できたのではないかと自負しています。(03・1・17)
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