上州上野さん    人呼んで 駆け込み寺      

上州上野山 人呼んで駆け込み寺が有った。          

誰言うと無く二千年の昔作られ、駆け込み寺に逃れ駆け込んだ人達、女の人だけの尼寺で有った、昔赤城が原に、怒涛を組んで、盗賊がせめて来たために戦い。多くの死人が赤城が原に散乱し、                  

 

其の人たちの死骸を葬った。傍ら、田や畑の作業しながら生きて二千年の間に、三度も焼き討ちにあった、尼寺が作られた最後の焼き討ちが。戦国末期に焼き討ちに会い、特に酷かった。逃げ惑う女の悲鳴、血に染まった姿が、燃え盛る火に映えて、地獄絵の如くであつたと、言い伝えられている。                 

 

それから四百年の歳月がたった。この四百年寺の後に近寄る人も無く寂しい、吹く風に木々を渡る風は、女の悲鳴に、聞こえ身もこうる、ところといわれた。 この地を持った人は必ず滅びるといわれ、この土地に尼寺で焼き殺された、尼の怨霊が漂っていた。四百年の今日土地の争いが、近所に済む人たちに、もちあがり、歳月が、其の怖さ恐ろしさを、皆忘れ、土地取りに走る、必ず、其の周辺の人に取り付き、取り付かれ、怨霊がさまよう、ことでしょう、尼寺の後を守る、そのために、今日私が其の地を守るためにがんばって、きたがついに守ることが出来ず、残念です。あの尼寺を汚す者達は、きっと天罰が下ることでしょう。運命のいたずら、必ず赤城にやって来る、既に其の人たちに起こりました。                   

 

三十二三年頃あの寺から地蔵様を持ち去った人、当時相当の大尽、庭園に、地蔵様をいれて眺めていた。 処がすぐに家が火災に会い、何も知らず新築して立派な家を立てた、二ヶ月足らずで、また火災に会い。主人 稲荷様に見ていただいたところ、あなたの家に地蔵様があるでしょうと、其の地蔵様が呪っているのですと、いわれたが、そんなことと、しているうちに事業に、失敗、ついに地蔵様を川に捨てた。其の怨霊で 事業に失敗借金に終われ夜逃げ同然にて行く先知れず。この話、実在しています。三十四、五、年頃、川に捨てられた。地蔵様と新聞に載りました。

すさまじいほどの怨霊に呪われ幾多の人が何かわからぬ怨霊に疲れて、去ってゆく、其の様があの地に、関わった人に、たたっている。上野山駆け込み寺のいわれ、すでに其の近隣、斎藤丸々は、祟って、首をつぅて、死んだ、おなじく近所、茂木丸々はうごけなくなり、何年も何年もとこで哀れな、死に方をした。天罰てきめんであった。

 

このように話せば歴代の村長に村で取り組んだこの地を道路にとした村議が突然の死から、その地をもてあそんだ村長、一期待たずしてゆかれ。その後の村長も、3期はしたが、今既に、死の直面、怨霊が漂って入るように、思われる。このことが運命のいたずらなのか、または人の道に反した、報いなのか、探るところを知らない怨霊のたたりか。

 

その地がなぜこのような、ところになったのか、其れは人間の欲望がこのような事を、しているのでは無いか、其の土地をとってゆく何もかまわず。虫が葉を食うように四方から食い荒らす、とても、人間の、できる行動ではない、此れではこの地を知る人が、いかに哀れと悲しむか、時と時世は変れども、土地に残るいわれや風説は今も残り、親から子えと受け継がれ、村に伝説として残っている。

 

今でも眼に見えない何かが、この地で、祟っている.人の力でどうすることも出来ない、何かがある。

青木 良明